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なんかだんだんシナリオメイキング講座というより、ファンタジーRPGについてのお約束ごとや概論みたいになってきてますね^^; しばらくはこんなネタが続くかと思われます。しかしもうちょっと書きたい事を書いたら、シナリオメイキングに関連の深い内容に戻るかと思われますので、もう少しお付き合い下さいね^^

今回のテーマは、封建制について。
封建制というのは中世の君主と臣下の関係に深い影響を与えている制度で、一言でいえば「土地を介した君主と臣下の関係」です。ただし、ヨーロッパの封建制と、日本の封建制では考え方が異なりますので、これを知っておく事は重要ではないかと思います。

日本における封建制とは、頭目や大名が付き従う武士に領地を与え、武士はその御恩として、領地を与えてくれた頭目のために戦うというものです。
いわゆる「御恩と奉公」ですよね。
ただし日本の封建制とは、単なる主従の関係だけにとどまりません。
今で言うなら、親子の関係に近いものなのです。
頭目や大名は土地を与えるだけではなく、その武士が困窮したり危機に陥ったりした時には援助をしたり援軍を送ったり、サポートを惜しまなかったようです。
そうなると武士の方も、単なる「御恩」という枠を超えて、頭目に対して贈り物などを差し出したり、死地に赴いたりという事を喜んで行うようになります。
上司と部下の間には、深い信頼がある事が前提になっています。

一方ヨーロッパにおける封建制は、原則として「契約」で上司と部下は結ばれています。
君主は臣下に領地を与え、臣下はそのお礼に君主に忠誠を誓い、尽力する。
これだけなら日本の封建制と差異はありませんが、ヨーロッパの封建制はもう少しドライな関係です。
あくまで君主と臣下の関係は「土地を媒介とした双方向的契約関係」であるため、逆にいうと君主が臣下の保護を怠ったりするなど、君主と臣下の関係が悪化すれば、どちらからでも契約関係を破棄する事ができたのです。
また、ひとりの騎士が、複数の君主と同時に契約関係を結んでいる事も少なくありませんでした。
現在で言うところの派遣社員のような扱いに近いと言えるでしょう。

この差異はどうして生まれたのかというと、やはり宗教の差でしょう。
ヨーロッパを支配していた宗教は主にキリスト教であり、日本を支配していた宗教は主に神道と仏教です(道徳的な面ではさらに儒教が入ってきます)。
特に日本人の道徳の根幹を支えている儒教は上下関係を重視したため、単なる契約関係にとどまらず、上の者は下の者を徹底して庇護し、下の者は上の者のためにすべてを投げ打って忠義を尽くすという、まさしく日本的な封建制の考え方ができたのだと説明がつきます。

では肝心のファンタジーRPGにおいて、日本的な封建制とヨーロッパ的な封建制と、どちらを重視すべきなのかというと、やはり中世ヨーロッパがモデルである以上、ヨーロッパ的な封建制を重視しておいた方がいいのではないかと思います。
もっともファンタジーRPGにおいて王権に深い関わりを持っているプレイヤーキャラクターというのは少なく、そこまで徹底して意識していなくても問題は少ないかと思われます。
国家が深く関わる大事件などを制作する際にこのあたりを覚えておけば、多少役に立つ事があるかもしれませんね。

たとえば、主人公一行がとある王国にたどり着いたとします。
その王国では悪政が敷かれていて、民は疲弊し、虐げられています。
となると、「王国を守る騎士が邪魔で国王を打倒できない」というシチュエーションって、あまりないはずなんですよ。
なぜなら悪政が敷かれていて民の不満が高まっている中、国王の臣下である騎士だけがいい生活をしているというのは、考えにくいでしょう?
このようなケースでは、おそらく騎士の間でも同じように不満が高まっているはずで、暴君打倒の計画が持ち上がれば、多くの騎士も共鳴するでしょう。
このように想像する事が可能なのは、前述したように中世ヨーロッパにおける封建制はあくまで契約関係であり、日本のように「君主に絶対の忠誠を誓い、何があろうと献身奉仕する」という考え方が希薄だからなのです。
ただしファンタジーRPGですから、騎士は国王周辺の邪悪な魔法使いによって洗脳されていて、これを取り除かない限り王を打倒できない、などという事情がある事は十分に考えられますので、過信は禁物です。

多くのファンタジーRPG作品の主人公は王権に無縁であり、王権に主眼を当てた作品というのはあまり見かけないのですが、このような視点から物語を作ってみるのも面白いのではないでしょうか。
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たいていのRPG作品には、僧侶(神官とかクレリック、プリーストなどと呼ばれる場合もありますが)が登場しますよね。
皆様はこの「僧侶」という職業を、ゲーム的にどのように扱われているイメージがありますか?
おそらく大半の方は、以下のようなイメージなのではないかと思うのですね。

○回復魔法が得意
○攻撃力はそこまで極端に低いわけではないが、戦士などと比較すると格段に低い
○魔力は魔法使いには及ばないが、それに次ぐぐらいの高さを持っている
○性格は基本穏やかで、誰に対しても分け隔てなく優しい

こんな所でしょうか?
しかし実は、こんな根拠どこにもないんですよ
それどころか本来僧侶というものは、戦士にも負けないくらい戦闘力が高く、しかも意外に残酷だったりするんです。
まぁ、ドラ○エとかメジャーなRPGにおける僧侶がこんな感じだったりするので、他のゲームにもこのようなイメージが根付いてしまったのかも知れませんが……。
今回は、そのあたりについて触れてみようかなと思っています^^

①僧侶の戦闘力
前述したように、本来僧侶の戦闘力というのは、かなり高いはずなんです。
それこそ、戦士にも匹敵するくらい。
なぜならば、宗教戦争があるからです。
異教徒や悪魔、怪物などの軍勢が攻めてきた時に、祈っていればそれらは退散してくれるでしょうか?
神の奇跡でも起これば話は別ですが、あまり現実的ではないですね。
僧侶もそのような有事の際には、自らの信仰を守るために戦わなければなりません。
ですから僧侶も戦闘訓練はしていましたし、有事の際には戦ったわけです。
それゆえ、僧侶の戦闘力が戦士に比べて低いという根拠はないんです。
実際神官戦士という、重い金属鎧に身を包み、本格的な戦士としての訓練を受けた僧侶だって多く存在します。

ちなみに僧侶の武器と言えばメイス(槌鉾)。
メイスは木製の棒に金属のかたまりを装着した打撃用武器ですが、なぜこれが僧侶の武器とされるのかというと、血が流れないからです。
基本的に宗教において、戦争での流血はよくない事とされています。
打撃武器であれば、どんなに強く殴っても内出血になるので、血が流れません。
そのため、メイスは宗教家や僧侶の武器として扱われているわけです。
もちろん、僧侶以外の者が使ってはいけないという制約があるわけではありません。
つまり、短剣程度ならともかく、剣などの本格的な鋭器を僧侶が持つというのは、あまりふさわしいとは言えませんね。
某ゲームには、「はぐれメタルの剣」などというとんでもない高性能鋭器を振り回すザラキングもいらっしゃいますが、本来の僧侶の姿とはほど遠いですね(笑)
もっとも、ファンタジー世界には戦いを司る神などもいて、この神に仕える信徒などは、鈍器でも鋭器でも平気で振り回しますから、僧侶だからといって、みんながみんな鋭器を振るわないという事もありません。

②誰にでも分け隔てなく優しいか
これも、根拠がないんですよ^^; もちろん僧侶だからといって性格は千差万別だから、という理由もあるんですが、性格を抜きにしても、僧侶=闘争心が少ないとは言えないんです。
特に異教徒に対しては、残酷な事でも平気でできる残虐性を持っている事も少なくありません。

ちなみに、ゲームにもよりますけど、敵を即死させるような魔法って、僧侶が持っている事が多いですよね。
ドラゴンクエストシリーズでも、僧侶もしくはそれに類するキャラクターが「ザキ」や「ザラキ」といった「死の呪文」を持っている事が多いです。
あれ、疑問に思いませんでしたか?
「なんで僧侶なのに、殺生を推奨するような魔法を覚えるんだ」って。

あれにもちゃんとした理由がありまして、主に「死の魔法」は異教徒や悪魔に対して使い、存在をすべて消してしまう事を目的にしていたんです。ですから僧侶が「死の魔法」を覚えているのは決しておかしな事ではありませんし、「生物に死を与える」などという残酷な事が平気でできてしまうという説明にもなるんです。
異教徒や悪魔に対しては冷酷なまでに非道ですから、「誰に対しても分け隔てなく」優しいとは全然言えないわけです。
この「誰に対しても分け隔てなく優しい僧侶」というイメージが強いのは、どうやら江戸時代のお坊様がこんな感じだったようです。
異教徒であるキリスト教徒に対しても穏やかで優しかった事に外国人が衝撃を受けたという話もあります。
それでこのような僧侶のイメージが出来上がったらしいですよ。
シナリオメイキング講座が続きます^^
この「悪魔」というのも、実はなかなか扱いが難しいものなのです。

一般にはサタンとデーモンに分類されますね。
サタンとはルシフェルに代表される、神に敵対し、人々を堕落の道に導こうとする存在。
デーモンは異界の住人で、そもそも神に生み出された存在ではなく、神に対して敵対的な存在。

しかし、一概にこれだけでは片付けられないのが、「悪魔」の難しい所。
宗教、特にキリスト教などの一神教においては、その宗教の神こそが「唯一にして絶対の神」。
それ以外の宗教の神はニセモノの神でしかなく、「絶対神」に敵対する「悪魔」であるとされたんです。
当然、ニセモノの神に従う異教徒も「悪魔」。
つまり「悪魔」というのは必ずしもこうと決まっている存在ではなく、自分たちと考え方の異なる存在を「悪魔」と呼んでいるだけの場合もあるわけです。
対立する宗教の者同士が互いに「悪魔」とののしり合うという光景は、別におかしな事でも何でもないという事です。

悪魔の中でも有名なもののひとつに「バフォメット」がありますね。
炎の中から現れるヤギの姿をした悪魔で、人々を堕落させるというものですが、この名前はイスラム教の開祖、「マホメット」が語源であると言われています。

つまり悪魔というのは歴史の中で、対立する「神」たる存在を「悪魔」と呼んだだけものもいて、必ずしも邪悪な存在とは言い切れないんですよ。これが「悪魔」の難しい所です。

ですから「悪魔」は、必ずしも邪悪じゃなくてもいいんです。中には善良な「悪魔」もいて、悪魔と呼ばれ、迫害を受けているかわいそうな存在を救う、などというシナリオだってあってかまわないのです。
そこは、制作者のシナリオメイキングの腕の見せ所ではないでしょうか。
今回の記事は、シナリオメイキングとはあまり関係がないんですけどね^^;
「聖人(セイント)」とか「聖域(サンクチュアリ)」とか「聖騎士(パラディン)」などに使われる「聖」という言葉。
この言葉の意味をしっかりと理解した上で、使っている方がどれだけいるのかなと。ちょっと興味が湧いたので、この記事を書いてみました。

「聖」というのは、実はかなり宗教的な言葉です。
道徳的にいい事という意味の「善」と同じように考えていらっしゃる方は、誤解です。
実はまったく意味合いが違います。

「聖」というのは、宗教において「俗」の対義語になる言葉です。
「俗」というのは、人が普通に暮らしている世界の事を指します。
それに対して「聖」というのは、神々が暮らしている世界、つまり「俗」世界から完全にかけ離れた世界の事を指すわけです。

「善」というのは「俗」、つまり人間が暮らしている世界においてよい行いとされている事、なわけですね。
つまり、事の善悪を決めるのは人間なんです。
しかし「聖」、神々の世界において善悪を決めるのは、神様です。
人間の道徳的によいと思われる事であっても、神様が悪いと決定を下したら、それは悪になるわけです。
「善」である事と「聖」はこのように、全然違うのですね。

そして「聖」における住人には、神々と同じように考え、同じように暮らす事が求められます。
つまり、俗世間における人々と同じような欲求を持つ事を禁じられる世界なんです。
これは大変に厳しいですよ。
身も心もすべてを神様に捧げるわけですから、俗世間の人々のように自由に恋愛をしたり、好きなものを食べたり、長生きして面白おかしく暮らしたいなどといった、人間が本来持っている自然な欲求を持つ事が許されないのです。

そうなると、「騎士」と「聖騎士」の違いも見えてきますよね。
「騎士」は騎士道を守る事が求められます。
騎士道は中世ヨーロッパにおいて、道徳の行動規範となるものでした。
つまり騎士道を遵守する事が、善であるとされたのです。
しかし、いかに騎士道を遵守していてもそれは「善」でしかありません。

これに対して「聖騎士」は俗世界の道徳規範である「騎士道」に加え、神の教えも遵守しなければならないわけです。
だからといって「騎士」よりも「聖騎士」の方がランクが上だとは必ずしも言えるわけではありませんが、「聖騎士」の方が「騎士」よりも様々な制約を課せられている、というのは間違いありません。

つまり、俗世間に混じって酒を飲んだり、女遊びをしたり好き勝手やっている「聖騎士」というのは、おかしいという事になるわけです。
このように、言葉が本来持っている意味からも、キャラクターの設定を作ったり、シナリオの導入に活かしたりと、応用ができるようになるのではないかと思います。
今回説明させていただくのは、作品の完成度、面白さを決定づけると言っても過言ではない要素のひとつ、「伏線」の意義と取扱いについてです。
「伏線」を「フラグ」という事もありますが、ここでは主にフラグ(=物語の分岐点において、結末を決定づける行動や言動)の事ではなく、作品の随所で描写される、物語の謎を解くカギになる行動や言動、現象という意味での伏線についての話をします。

伏線には明示されるものと暗示されるものの2種類があり、それぞれ役割や効果が異なります。

◆明示される伏線
誰が見ても「これは何かある」と分かる伏線。シナリオの導入などでよく用いられ、その先の展開が簡単にはいかない事を予感させたり、後に語られる真相の裏付けになったりします。

「ドラゴンクエストV」における明示伏線
ゲーム冒頭で主人公が産まれた日の夢の内容が描写され、主人公の出生の秘密を解くカギとなる伏線となります。この例に限らず、夢の描写は過去の事実や未来の予知、本人の願望、誰かの危機を知らせる虫の知らせなどを表しているのが一般的で、物語後半の真相が明らかになる段階で、真相の裏付けとなります。

FPLにおける明示伏線
ゲーム冒頭で空が暗くなるシーンが入るほか、「最近地震が多い」などという噂をランドの各地で聞く事ができ、将来的に何か重大事件が起こる事を予感させる役割を持っています。


基本的に明示される伏線は「最初からすべてを明かすわけにはいかないが、気づいてくれないと困るヒント」を描写するために用いられます。
伏線は気づいてもらえなければ全く意味がありません。
特に見つけてもらわないと困るこのタイプの伏線は、探さないと見つからないような、分かりにくい伏線にならないように注意しておきましょう。

◆暗示される伏線
なにげない一言やさりげなく配置されているものなどに隠されていて、よく注意していないと気付かないような伏線。
主に以下の2つの目的で用いられます。

①物語終盤、真相のすべてが明かされる段階で裏付けがなされ、プレイヤーの意表を突き、驚かせたりする
②物語の世界観などをさりげなく説明する。伏線に気づけばより詳細にその世界の事が分かるようになるが、基本的には気づかなくてもとくに問題がないものが多い

また作品によっては、このタイプの伏線に気付いていないと、結末が変化してしまう(たいていはバッドルート)、フラグとしての用途もあります。
この手の伏線は制作者にとって意図的に隠されているため非常に分かりにくく、謎が解けた時の驚きと感動を増幅させる効果があります。
暗示伏線の示し方にも複数の方法があり、制作者は好みの方法で伏線を張って下さい。

①設定が暗示伏線になっているパターン
主人公の出生や特殊能力、町の名前など、設定自体が伏線になっているパターンです。

ドラゴンクエストVIIIにおける暗示伏線
主人公には、いかなる呪いも跳ね返す特殊能力があります。この能力が、主人公の出生の秘密を覆い隠す伏線になっています。

②事象が暗示伏線になっているパターン
シナリオメイキング講座でこのパターンの伏線を説明する時に、私が必ず例として話をするのが、切り株です。
マップ制作に深い考えがないと、後々困る事になる可能性があります。
森のマップを制作する場合、切り株の扱いには注意しなければなりません。
なぜなら切り株は、自然発生する事は100%ありえないものだからです。
切り株が存在するという事は、そこに人間または人間並の知能を持つ生物が存在しているという証明になります。
という事は、仮にその場所が「もう何年も何十年も人の姿を目撃した事がない」という設定の魔境などだった場合、切り株の存在は設定と矛盾するという事になります。
このようなタイプの伏線は非常に分かりづらく、下手をすると、制作者自身でさえ理解していない場合もあります。
第3回の時代考証の話にも通じてくるのですが、つじつまの合う物語作りをするために重要なのは、とにかく「考える」事。これにつきます。
このようななにげないオブジェクトのひとつを配置するのにさえも、理由というものは必要なのです。
ましてプレイヤーは、制作者とは違う人間です。いかなる角度から疑問をぶつけられるか分かりません。
制作者がまったく意図していなかった角度から、疑問を投げかけられることも少なくないのです。
ですから制作者は、どんなプレイヤーよりも「考え」なくてはなりません。
プレイヤーから投げかけられるのではないかと思われる疑問を予想し、どのような疑問をぶつけられても、すぐに答えられるように。
細かいなと思われるかも知れませんが、制作にこのような細やかな配慮をする事は、プレイヤーの制作者や作品に対する信頼を厚くし、ひいては作品全体への評価も上がる事につながります。

③立ち振る舞いが伏線になっているパターン
よく注意していないと見逃してしまいかねない微妙な立ち振る舞いや、何げない一言などが伏線になっていて、物語を読み解く重要なカギになっているパターンです。
②同様、結末と矛盾した伏線にならないよう注意しておく必要があります。

「ドラゴンクエストV」における暗示伏線
トロッコ洞窟の奥で出会うひとりの男。「かれこれ20年以上は回っていたでしょうか」自分の事を天空人だと名乗る怪しい男。いくら天空人といえども、20年も飲まず食わずで生きていられる人間がいるわけなく……。
このタイプの伏線の典型例と言えます。

FPLにおける、このタイプの暗示伏線
物語の随所にみられる、ノアが「身勝手な人間」を嫌悪する姿。それはどうやら、ノアの過去に何か関係があるようだが……。
これもまた、このタイプの暗示伏線と言えます。


◆暗示伏線の取り扱いに関する注意点
暗示伏線は作品の面白さに関わる重要な要素ですが、伏線を張るにあたって、守らなければならない約束事が2つあります。
まずは、「伏線の発見をクリア条件にしない」という事。
前述のとおり、暗示伏線はプレイヤーにより大きな感動と、そしてさわやかな驚きを与えるために張るもので、そのため、制作者が意図的にその正体を見えにくくしているものです。
つまり、ストーリーの途中で、伏線に気付くプレイヤーは少ないのです。
それに気付かないとクリアできないというのは制作者のエゴですし、何より伏線の本来の意義と違います。
伏線は、設定や世界観、物語の裏事情などをより深く説明したり、最後まで解けなかった謎の種明かしをしたりするために使用すべきものです。
伏線に気付くかでどうかでエンディングが変化するマルチエンドタイプの物語なら話は別ですが(グッドかバッドかはおいといて、とにかくエンディングにはたどり着けるわけですから)、そうでなければ、伏線をクリア条件にするのはいい物語とは言えません。
そしてもうひとつは、「張った伏線は必ず回収する」という事。
「回収する」とは、物語の途上で用意した伏線の種明かしをし、今までに語られることのなかった謎をプレイヤーに納得させる事を言います。
何度も述べているように、伏線を用意しておく事で、プレイヤーにより大きな驚きを与える事が出来ます。
ただし、伏線を張れば張るほど、隠された謎は複雑になります
むやみに伏線を張りすぎると、以前に張った伏線との矛盾が生じたり、回収し忘れる伏線が出てきたりするおそれがあります。
張った伏線はエンディングまでにすべて回収し、プレイヤーに一切の疑問を残させないのが鉄則です(少なくとも、ストーリーに直接関連するものに関しては)。
最後まで明らかにならなかった謎があると、プレイヤーの心の中にすっきりしないものが残り、さわやかな感動がなくなってしまいます。
制作者自身が管理しきれなくなるほど、複雑な伏線を張るのは厳禁です。

◆伏線を回収しない例外
上の項で、「張った伏線はすべて回収しなければならない」と述べましたが、あえて伏線を回収しないままにしておく例外もあります。
この手法は、主に以下の理由で用いられます。

①プレイヤーの想像に任せる
重要人物の生死などによく使われる手法で、あえて具体的な描写をせず、プレイヤーの想像に委ねる方法です。
プレイヤーがどのような想像をしても、物語の進行には影響がないようにするのが原則です。

②続編が存在する
別のキャンペーンシナリオや別の作品で再登場するなど、その場で完結せず、物語に続きが存在する場合に、次のシナリオに伏線の回収を持ち越すため、伏線を回収しないケースです。
回収しないどころか、より複雑な伏線が張られ、次のシナリオの導入として用いられる事も少なくありません。

上記のような特別な意図もなく、回収しない伏線は基本的にNGです。
張った伏線をなかった事にしてしまう無責任な行為も厳禁です。
では、伏線の回収漏れや、伏線を張りすぎて収拾が付かなくなってしまうなどの事態を防ぐにはどうしたらいいか?
それは、今までの講座でも述べてきたように、「とにかく壮大な物語」と大ざっぱに考えるのではなく、世界観や登場人物の性格や行動パターンなどを具体的に決めておき、論理的に思考する事です。
こうした設定を具体的に決めてあれば、「この展開になったらこのキャラクターはこう動く」「城の兵士Aは怠け者という設定だから、深夜2時頃には必ず居眠りをしている」……という具合に、論理的に物語を作っていく事ができます。
そうすれば、どのような情報をプレイヤーに与えられるか、どのような伏線を張るべきか、どのような伏線なら設定と矛盾しないか……というのが分かるはずなのです。
ですから、設定資料は必ず作成しておき、自分がどのような伏線を用意したかなども、一緒に資料にまとめておく事をお勧めします。

FPLにおける、裏設定の活用法
Cブロックにおいて、主人公たちを待っている人物がいますが、彼らは時間が経つといなくなってしまいます。それは、背後に重大な事件が迫っていて、彼らにも時間が残されていないからなのですが……この情報がプレイヤーに明示される事はありません。しかしこれにより、刻一刻と時間は経過しており、状況は変化しているという事を、プレイヤーに伏線として提示しています。重要なのは、このように具体的に動機や理由を決め、論理的に思考する事です。
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